大正末期の井元邸宅
【ここから井元邸宅メニューです】
【ここまで井元邸宅メニューです】
【ここから井元邸宅本文です】
和館建築後の大正 15 年から建築を開始し、井元為三郎氏が渡航していた国々で流行していた建築技術・デザインを、家具や照明、タイルなど隅々まで、凝らした贅沢な館です。
当時は、宿屋が多くない為、娯楽室の隣には楽しまれたお客様がそのまま泊まれるように寝室、バス、トイレが設置されています。
-
- 外観
- ホワイトとブラウンの二色で直線的なアールデコ風。
-
- 屋根
- スペイン瓦、木製の上げ下げ窓の水切り部分にはスクラッチタイルが用いられている。
-
- 玄関扉の周囲
- 大型の陶器タイルが使用。
-
- 照明器具
- 玄関ポーチの軒下にある照明は魅力的な星形。
-
- インテリア
- 床には寄せ木のフローリングやタイルを使用、ドアは楓の一枚板の木製建具に模様。
-
- バスルルーム
- 洋式の大きな浴槽とトイレ。ひとつの空間に配置されることも当時は珍しかった。
日本のステンドグラスは西洋諸国の千年を超える歴史の積み重ねに比べれば、百数十年という若さです。しかし清楚で静かな雰囲気を漂わせた作品群はけっしてひけをとりません。日本に日本人による本格的なステンドグラスが取り入れられるのは明治中期。時代の要請でもありました。
文化のみち橦木館のステンドグラスは、ドイツ、オーストリア、に興った分離派(ゼセッション)の影響を受けたデザインとアメリカン・アール・デコを彷彿させるデザインが、実にさりげなく使われております。アメリカン・アール・デコの意匠は、昭和に入ってから瞬く間に日本中に広まり建築をはじめ、室内装飾、装身具、日常生活用品など、あらゆるところに波及していきました。
橦木館のステンドグラスはこの流行に先駆けた作品といえます。
-
- 玄関
- アールデコ風の幾何学的模様。
-
- カフェ・トイレ入り口
- 幸せの青い鳥をモチーフにしたもの。
-
- 2階の娯楽室
- トランプの模様をデザインしたもの。
井元為三郎氏の全盛期に建てられた橦木館。生まれ年が酉年だったことから、館内には多様な鳥のモチーフが見られます。日本家屋には東西2棟の蔵が建ち、西側の客座敷を中心に要所要所に贅沢な細工が施される一方で、通気を考えた無双窓や子供部屋の畳は縁(へり)を使わないなど、機能性・合理性に配慮した建築物となっております。
-
- 屋根
- 横一文字の瓦が二層と青銅が一層の三層構造。材料は無垢材柾目。
-
- 欄間
- 彫刻が施されており、障子は雪見障子で座敷から庭を拝見できる。
-
- ガラス
- 型板の上で作られた透明ガラスゆえ、表面が揺らいでいる。
-
- 書院の障子
- 変わり組障子。
-
- 戸袋の手掛かり
- 江戸時代までは縁起の良い動物だったコウモリがあしらわれている。
-
- 壁
- 土壁の上塗りは京都の聚落から運んだもの。
-
- 沓脱ぎ石
- 三重の菰野町産。
名古屋は茶の湯の文化が浸透していて、昭和前期までの多くの屋敷は、茶の美意識に根ざす家屋と庭園が一体化した「庭屋一如」の屋敷が造られました。橦木館もそうした美意識の中に造られた屋敷の一つで、他にも市内に点在する屋敷群から茶室を通じた違いなど新たな魅力が広がります。
-
- 茶室
- 幕末期に京都で作られたものを、そのまま移築したもので敷地内で最も古い建物。
-
- 主室
- 真ん中は板張り、躙り口(にじりぐち)があり、竹の下地窓、天窓から日差しを感じる造り。
-
- 自然石手水鉢
- 和室から外へ出たところにあり、茶道の精神を表すよう野趣を重視して作られたもの。
文化のみち橦木館は、いくつかある沓脱ぎ石など必要以上の巨石を配しています。こうした庭園の巨石趣味は、市内にある他の「お屋敷」にも見られます。名古屋の富裕層たちが庭園に競うように巨石を配した時代背景を探るなど、屋敷巡りに新たな視点をたててはいかがでしょうか。
-
- 池泉庭園
- 大量の土で立体的に盛られており、茶室の奥から昔は川が流れていた。
-
- 飛び石
- 大きな飛び石だけでなく、庭を堪能していただけるように導線にも工夫している。
-
- 灯籠
- 匠のまち三州岡崎製の雪見灯、鳥取石の層塔や濡鷺灯籠、鹿のレリーフが入った春日灯籠により趣深い庭園を感じられる。
館長のおはなし
2023年4月1日より、文化のみち橦木館の館長に就任いたしました。香川絢子と申します。
当館は、瀬戸の陶磁器の輸出を商いとし、明治40年にはサンフランシスコにも貿易会社を設立したグローバルな視点をもつ井元為三郎氏の邸宅です。
昭和初期にこの館を建てられるまで、西洋、東洋の歴史文化に触れ、めくるめく文化の変遷と環境変化のあった時代を過ごした主人が国内外の様々な方が交流を深める拠点として作られた、そのこだわりと建物への構想は日本の文化の発信地でもあり、当時の最先端のセンスを持ち合わせていたことを表現する場であったのではと推測します。
今も昔も、名古屋は「芸処」。江戸時代に文化・芸能の花が開いたこの地には、現在も豊かな文化が根付いています。
文化は目に見えないものではありますが、生活に密着し、潤滑油のように日々の生活に必要不可欠なものと考えます。
建設から約100年の時を経て、私たちがこの建物を活用し、新たな展示や企画を行うことで 先人たちの残して来た文化で、皆様の人生を少しばかり豊かに描くお手伝いが出来ると幸いです。
皆様のご来館を、館員一同心よりお待ち申し上げています。